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著作権

佐々木拓

身近に見られる著作権侵害

情報技術の発達により、われわれは日常的にコンピュータやインターネットを使用し、そこから多くの恩恵を得ています。PCやインターネットが普及したおかげで、これらが普及する以前には非常に手間がかかった事柄をわれわれはとても容易に、気軽にできるようになりました。雑誌でCDの情報を調べ、CDショップに買いに行かなくても、インターネットには欲しい楽曲の様々な情報があふれていますし、ダウンロードすれば即座にその曲を聴くことができます。また、レポートを書くという作業にしても、図書館で書籍や論文を調べレポート用紙に手書きをしていた時代に比べれば、インターネットで公開されている論文や電子書籍を読んで、ワープロソフトを使ってレポートを作成することの手間の違いには非常に大きなものがあります。

しかしその一方で、情報技術が日常生活において身近になったことによって、それらに関連する法や制度をこれまでになく意識せざるを得なくなっています。ここではこの一例として著作権に焦点を当て、日常的で手軽にできる行為の中にどれだけ著作権問題、とりわけ権利の侵害に関わるものがあるかを説明したいと思います。

1. コピー&ペーストによるレポート執筆について

紙面の大半が、ウェブサイトから他人の文章をコピーして貼付けたり、本の一部を丸ごと書き写たりして埋めてあるようなレポートが時々見かけられます。このような行為は情報技術の発達によって非常に手軽に行えるようになりましたが、学術研究・教育における重大な不正行為です。コピー&ペーストなどの技術によって、他人の文章のみに依存して(もしくは大部分を他人の文章に依存して)レポート等を作成することは、テストにおけるカンニング行為と同じと見なされます。大学によっては、当該セメスターの全単位の剥奪等、厳しい処分を課しているところもあります。

大学が他人の文章のコピー&ペーストによるレポートを処分の対象とするのはそのような行為が学術研究・教育上の不正とみなされるからであって、著作権の問題は大学という場においては二義的な意味しかもちません。しかしによるコピー&ペーストによるレポート作成は著作権侵害に該当する行為の一例でもあるので、ここではこの不正行為を題材に著作権の侵害がどのようなものかを説明したいと思います。

さて、著作権とは何かを一言で言うならば「権利者に著作物の排他的独占使用権を認める」ということになります。わが国の著作権法では、申請や登録といった特定の手続きをとらなくても、例えば文章ならばそれを執筆し、公開した時点で著作権が発生します(他の著作権を侵害していない場合に限ります)。これを「無方式主義」と言います。加えて、なにか特別に学術的、芸術的な価値をもつものでなければ著作権を認めないというような規定もありません。これらが何を意味しているかと言うと、「われわれが書籍やインターネットで目にする文章の多くには著作権が生じていて、それを使用するには権利者の許可がいる」ということです(著作権には期限があるために、著作権の存在しない文章も存在します)。

とはいえ、学術研究・教育上、他人の文章を利用する際にその都度権利者に許可を取る必要があるとすれば、それは非常に面倒で、研究や教育そのものを困難にする可能性外あります。そこで、著作権法では例外を定め、以下の場合には著作物を無断で使用することが許されています。

  1. 私的使用の場合(著作権法30条)
  2. 図書館の場合(著作権法31条)
  3. 引用・転載の場合(著作権法32条)
  4. 教育目的の場合(著作権法33-36条)

われわれが論文やレポートの中で先人の文章を自由に利用できるのは(3)の「引用の場合」に該当するからですが、「引用」という形で著作権者に無断で文章を利用するためには、著作権法に定められた一定の手続きが必要です(『著作権テキスト』p. 69参照。また、引用を含めた参照文献の書き方が本プロジェクトで紹介されています。「各種ソフトウェアを用いた論文・レポート作成マニュアル」にある「参考文献の書き方」を参照ください)。ここで重要なポイントを挙げるならば、(a)引用箇所が他の文章とはっきりわかるように区別されていること、(b)引用先がわかる仕方で書誌情報が記載されていること、(c)引用部分とその他の部分に「従」-「主」の関係があること、が挙げられます。

以上の条件がすべて満たされていれば、他人の文章を自分のレポートや論文に自由に使用することができます。しかし逆に、(a)〜(c)のうち、たった1つの条件でも見過ごされれば、不正な引用だと見なされることになります。したがって、引用先の情報もあげず、また、地の文と区別できない仕方で他人の文章をレポート等に使用することは、(a)と(b)を満たしていませんので、上記の「例外」とは認められません。また、仮に引用箇所を明記し、自分の文章と他人の文章を明確に区分して書いたとしても、レポートの半分以上が他人の文章によって構成されている場合は、(c)を満たしていませんので、これも上記の「例外」とは認められず、著作権侵害と考えられます。

(c)の「従」-「主」の関係は少し理解が複雑です。もっともわかりやすい目安は分量の問題です。例えば、2000字のレポートのうち、1600字が他人の「引用」であるようなレポートでは、明らかに引用部分が「主」であり、自分自身で考えた文章は「従」と見なされるのが当然でしょう。このような引用は、(a)(b)の条件を満たしていても、適切な引用とはとても言えません。引用部分が「従」で、自分の文章が「主」という条件は一概には量の問題とは言えませんが、少なくとも、引用部分が自分の主張を支えるための身分(例えば、批判材料の提示、解釈の根拠、自説の支援など)に抑えられている必要があります。適切な引用においては、引用部分は自分の主張を展開させるための「素材」であるべきで、この「素材」がそのまま「メインディッシュ」になるような引用の仕方は不適切な引用だということになります。

加えて言うと、単なる「てにをは」の変更や少々の語句の言い換えによって、他人の文章が「自分のもの」になることはありません。この場合にさらに引用先の明示を怠るならば、それは盗用と見なされても仕方がない状況と言えるでしょう。他人の文章を利用する以上は、上の条件を満たす形で適切な引用を行う必要があるのです。

2. ソフトウェアの違法コピー

1985年の著作権法改正によってソフトウェアが著作権法によって保護される「著作物」と認められました。したがって、著作権者の許可する範囲を超えて、ソフトウェアを複製(コピー)することは著作権(複製権)の侵害となります。

ソフトウェアの使用条件については、使用許諾契約によって細かく決められており、その中にはインストールの回数制限が含まれているのが一般的です。したがって、契約した条件以上の台数に、当該ソフトウェアをインストールすることは著作権の侵害になります。

2001年のLEC判決(5月16日東京地方裁判所)に代表的に見られるように、ソフトウェアの違法コピーには巨額の賠償金が課せられています(LEC判決は8500万円。なお、被告の東京リーガルマインドは控訴しています)。2003年に大阪のパソコンスクールに対して出された判決(10月23日大阪地方裁判所)では、管理責任者にも賠償責任があることが明示されました。また、2009年には複数の自治体の役所が違法コピーのために多額の賠償金を請求されています。ソフトウェアの違法コピーは大学に大きな損害を与える行為なのです。

3. 違法アップロード

1997年の著作権法改正によって、たとえばWinnyやCabosなどのファイル交換ソフトに音楽・映像ファイルをアップロードし、他者に「受信者からのアクセス(選択)があり次第『送信』され得る」状態におくことが違法化されました。このような状態を「送信化可能」な状態と呼びますが、著作物を「送信化可能」にすることは、著作権中の「公衆送信権」(著作権法23条)、とりわけ「自動公衆送信」に関わるものです。著作権者の許可なく著作物を送信化可能にすることは、公衆送信権の侵害ということになります。

2001年にWinMXを使い、Adobe社のデザインソフトなどを共有した大学生および専門学校生が逮捕されて以来、公衆送信権侵害での刑事告発は数多くなされています。また京都大学のネットワークでは、Winnyに代表されるP2Pファイル交換ソフトの使用は研究利用を除き禁止されています。詳しくは、京都大学全学情報システム利用規約を参照ください。

加えて、映画や音楽などの海賊版を、それが海賊版であるという事実を知りながら、提供の申し出をすることも著作権侵害と見なされるようになりました(2010年改正)。したがって、ファイルを交換ソフトにアップロードするだけでなく、アップロードの申し出をしたり、また、オークションサイトに海賊版を出品する行為もまた違法行為となり、刑事罰および損害賠償の対象になりました。

4. 著作権を侵害している音楽・動画ファイルのダウンロード

2010年の著作権法改正によって、「著作権等を侵害する自動公衆送信を受信して行うデジタル方式の録音又は録画を、その事実(=著作権等を侵害する自動公衆送信であること)を知りながら行う場合は、私的使用目的の複製に係る権利制限の対象外」となりました(著作権法30条第1項第3号関係)。「自動公衆送信」を行うものにはウェブサイトやファイル交換ソフトが含まれていますので、たとえば、違法着メロダウンロードサイトなどにアップロードされている音楽ファイルや、ファイル交換ソフトにアップロードされている映像ファイルを、それが上記の違法アップロードであることを理解した上でダウンロードすることは違法行為とみなされます(ただし、現在のところ、この違法行為に対しては刑事罰は設けられていません)。

上記の規定では、対象が音楽および映像のファイルに限定されていますので、たとえば、ウェブサイトにアップロードされている論文等の文章や、写真等の画像をダウンロードすることは対象外とされています。また、ストリーミングのように、コンピュータに一時的にのみ保存され、インターネットに接続することなしには繰り返し視聴ができないようなデータは「ダウンロード」もしくは「電磁記録」と見なされないという解釈がとられています。したがって、「YouTube」などの動画閲覧サイトで、専用のダウンロードソフト等を利用してダウンロードし、繰り返しの視聴が可能になるのでなければ、アップロードされている音楽や動画を視聴しても(それが仮に著作権侵害がなされているものであっても)、違法とはみなされません。

参考文献


著作権に関する基本用語集


インセンティブ理論

著作権の正当化理論には複数ありますが、インセンティブ理論はそのうちの1つです。これは「著作物が多ければ多いほど、社会は進歩する。著作物を増やすには、著作権を認め、著作者に著作物を産み出す動機を与えることが必要である」という考え方で、社会や文化の発展を目的として定めた上で、著作者に著作権を認めることはその目的に寄与するという理由から、著作権を正当化する考えです。この考えは、わが国の著作権法にも伺えます。

「この法律は、著作物並びに実演、レコード、放送及び有線放送に関し著作者の権利及びこれに隣接する権利を定め、これらの文化的所産の公正な利用に留意しつつ、著作者等の権利の保護を図り、もつて文化の発展に寄与することを目的とする。 」(著作権法1条)

ただ、わが国の著作権制度がインセンティブ理論のみに依拠しているかと言うと、一概にはそうとは言えない部分があります。というのも、わが国の著作権制度には財産権(「著作権(財産権としての)」を参照)と人格権(「著作権(人格権としての)」を参照)の2種類の権利が含まれていますが、インセンティブ理論と相性がいいのは前者のみで、後者の人格権の部分とは必ずしも親和性が高いとは言えないという指摘があるからです。

例えば、米国もインセンティブ理論によって著作権(および特許権)を正当化しています。これは、アメリカ合衆国憲法1条8節8項で次のように明言されています。

「著作者および発明者をして、一定の期間、それぞれの著作物および発明に関する排他的な権利を確保せしめることによって、学問および有用なる技術の進歩を促進すること。」

しかしその一方で、わが国の著作権法にあたる米国のcopy right lawは人格権を規定していません。そして、「公正使用」という考えを基に、批評やパロディーの素材として使用する場合には、わが国に比べてより自由な仕方で著作物の使用を認めています(「公正使用」参照)。もし、公正使用の考えによって、評論やパロディーと言った著作物の創作が促進されるなら、インセンティブ理論の観点から著作物の公正使用を認めるべきでしょう。しかし、わが国では著作者人格権に含まれる同一性保持権のために、パロディ等の創作が米国に比べれると制限されているという実態があります(「同一性保持権」参照)。著作者人格権を認めることでどれだけインセンティブが増大するかという問題は検証が必要でしょうが、現著作権制度の内容がインセンティブ理論から見て適切であるかどうかは、時代の変化と技術の発展をふまえた上で検討して行かなければならない問題だと言えます。


参考文献


公正使用(Fair Use)

米国の著作権法(copyright law)は、出版物に関して「もっぱら批評、新聞雑誌の報道、教育、簡単なパロディーなどのために、その一部分に限って、原作者の許可なく無料で引用する自由」を認めています(『英米法律情報辞典』p. 208)。このような著作物の使用は「公正使用」と呼ばれ、著作権侵害の訴えに対する抗弁となります。

著作物の使用が公正使用と認められるかどうかは以下の4つの要素の検討に基づきます。

  1. 使用の目的と性格。これにはその使用が商業的性質をもつか、それとも利益を生まない、教育的な目的かどうかが含まれる。
  2. 使用著作権物の性質。
  3. 使用著作物全体から見たときの、利用された部分の量と実質。
  4. 使用著作物のもつ潜在的市場および価値に対する、使用による影響。

訴訟においては、以上の4点について、著作物の二次的使用が人々の創作活動を刺激するという著作権法の理念と矛盾していないかどうかが検討されます。

米国で認められているような「公正使用」はわが国では認められていません(「同一性保持権」参照)。しかし、著作物を巡る技術の変化もあり、現在「日本版公正使用」を認めるかどうかが検討されています。


参考文献


私的使用

著作権法では、著作権者の許可がなくても無断で著作物を使用できる「例外」を定めています。その中の1つに「私的使用」があります(著作権法30条)。

私的使用の条件としては、さしあたって次の2点が挙げられます。

例えば、「テレビ番組を録画して後日自分で見る」、「CDをカセットテープにダビングする」といった行為がこれに相当します。ただし、録画した番組をDVDにダビングして販売したり、インターネットに公開することはこの「例外」に含まれません。あくまでも、仕事以外の目的で、使用する本人がコピーすることが条件です。

また、インターネットから画像や文章をダウンロードしたり、プリントアウトすることもこの例外に含まれますが、2010年改正により、著作権侵害をしている音楽や映像ファイルを侵害の事実を知りながらダウンロードすることは違法行為となりました。

違法ダウンロードの他に、私的使用に関しては次の2点の「例外」条件があります。

3番目の条件は、例えば、レンタルビデオ店に設置されているダビング装置を用いてビデオやDVDをダビングすることが「私的使用の例外」だということを意味しています。ただし、コンビニなどに設置されているコピー機を使って授業ノートをコピーしたりすることはここには含まれず、私的使用の範囲内とされています。

4番目の条件に従えば、コピーコントロールのしてあるCDやDVDをダビングすることは「私的使用の例外」だと言うことになります。この他にも、「ダビング10」などのダビング制限のあるテレビ番組を制限以上にダビングすることが「私的使用の例外」であり、著作権の侵害行為であるということになります。

さらに加えるなら、盗撮した映画を自分だけで楽しむといった行為はここで挙げた条件には抵触しませんが、著作権の侵害とみなされています。


参考文献


送信化可能権

現在、最も著作権侵害の対象として取り締まられているのが、公衆送信権の中でもとくに「自動公衆送信」に関わるものです。財産権としての著作権には公衆送信権が含まれています(「著作権(財産権としての)」も参照)。例えば、自らが権利をもたない映画を勝手にテレビ局が放映することはできないのはこの権利があるためです。自動公衆送信は公衆送信の一形態なので、権利者の許可なく自動公衆送信を行うことは著作権の侵害になります。

詳しく言うと、自動公衆送信とは「受信者がアクセスした(選択した)著作物だけが,手元に送信されるような送信形態」(『著作権テキスト』p. 15)で、具体的にはウェブサイトでデータを公開する場合や、P2Pソフトウェアにアップロードすることなどが含まれます。自動公衆送信に関しては、装置への蓄積(アップロード)だけで、実際に、当該データへのアクセスが存在しなくとも権利が侵害されたと見なされます。このように装置に蓄積されたデータは「送信可能化」されたと呼ばれ、著作権者の許可なく送信可能な状態に置くこと自体が権利の侵害と見なされています。


参考文献


知的財産権

知的財産権とは、特定の情報もしくはその使用に対する排他的独占権だと言えます。この知的財産権には、(a)テクノロジーに関する知的財産権、(b)マークに関する知的財産権、(c)アートに関する知的財産権の3種類があります。

(a)には、発明に対する特許権、考案に対する実用新案権、意匠に対する意匠権が属します。これらはそれぞれ特許法、実用新案法、意匠法によって保護されています。この他に、不正競争防止法によって保護されている企業秘密がテクノロジーに関する知的財産権に含まれます。

(b)には、商標に対する商標権、商号に対する商号権が属し、それぞれ商標法、商法によって保証されています。 

そして、(c)には著作物に対する著作権と実演等に対する著作隣接権が属します。これら2つの権利は著作権法によって定められています。

知的財産権制度は、権利者に特定の情報の排他的利用を認める、すなわちその情報を使用する相手から対価を徴収することを認めるものですが、この制度は権利者の利益の増進のみを目的としているのではありません。知的財産権制度は理念として、特権を権利保持者に与えることで、人々の創作行為を刺激し、社会に置ける知的財産の総量を増やす、という目的ももっています。社会全体に有用な情報が増えれば、それによって権利者以外の人々も多くの利益を得ることになるでしょう。また、知的財産権には保護期間が定められていて、その期間が過ぎれば、以降は知的財産はパブリック・ドメインに置かれ、われわれが自由に、無料で使用できるようになります。例えば、回転寿しが現在のように安価で楽しめたり、古い音源のCDが10枚2000円といった安価で手に入ったり、「青空文庫」で古い書籍を無料で読めたりするのは、これらの知的財産がパブリック・ドメインに置かれているからです。こうした点を見れば、知的財産権は権利者以外の人々の利益にも資しているということがわかります。


参考文献


著作権(財産権としての)

著作権には、財産権としての狭義の著作権と人格権としての著作者人格権の2つの質の異なる権利が含まれています。これらのうち、著作者人格権は譲渡・相続ができませんが、財産権としての著作権は他人に譲渡することができます。

著作権とは著作者に著作物の「独占的使用権」を認めていますが、以下で紹介する権利はこの「使用」の内訳と言えるでしょう。以下の権利に該当する形で著作物を使用する場合には、権利者に許可を得る必要があり、場合によっては使用に対して対価を支払う必要があります。また、権利者に無断で以下の行為を行うことは権利侵害にあたります(例外の場合を除く)。

著作物の使用と一口に言っても、ある著作物をそのまま利用する場合と、洋書の翻訳や小説の映画化など、既存の著作物をベースに新しい著作物を「創作」する場合があります。後者によって作られる著作物を「二次的著作物」と言いますが、これらの区分をふまえて、財産権としての著作権は次の3種類に大別できます。

現著作物のままでの利用権には、無断で複製されない権利としての複製権(「複製権」も参照)をはじめ、コピーを使わずに著作物を「提示」することを制限する権利としての上演権・演奏権・上映権・公衆送信権・公の伝達権・口述権・展示権および、コピーを使って他人に著作物を「提供」することを制限する権利としての譲渡権・貸与権・頒布権が存在します(「公衆送信権」については(「送信化可能権」を参照))。

次いで、現著作物を組み込む利用権(二次著作物の製作に対する権利)としては、翻訳権、編曲権、変形権、脚色権、映画化権、翻案権などが存在します。このような権利があるため、二次的著作物の製作にあたっては、原著作者からの許可が必要になります。

二次的著作物を製作した人は当然ながら、自らが制作した二次的著作物に対して著作権を持ちます。したがって、二次的著作物を利用する際には、二次的著作物の著作者に許可をもらう必要がありますが、さらに二次的著作物を作るにあたって利用された元々の著作物の著作者からも許可を得る必要があります。これが、「二次的著作物の利用権」という権利です。例えば、福井晴敏の『機動戦士ガンダムUC』という小説を原作として、ある人が漫画もしくはアニメを作ろうと思い立ったとしましょう。ここで問題になるのは、福井の小説は矢立肇と富野由悠季による『機動戦士ガンダム』を原作として作られた二次的著作物である、という点です。このため、漫画やアニメを作ろうとする人は福井から利用の許可を得るだけでは不十分で、元々の著作物の権利者である矢立および富野にも利用の許可を得なければならない、ということになるのです。


参考文献


著作権(人格権としての)

著作権には、財産権としての狭義の著作権と人格権としての著作者人格権の2つの質の異なる権利が含まれています。これらのうち、財産権としての著作権は他人に譲渡可能である一方、著作者に帰属される著作者人格権は、財産権としての著作権を譲渡・放棄した後も著作者の権利として残ります(むしろ、著作者人格権の譲渡・相続はできないことになっています。著作権法59条参照)。

また、財産権としての著作権の保護期間は原則として著作者の死後50年間まで(映画の著作物は公表後70年)ですが、著作者人格権の保護期間は作者の生存中となっています(ただし原則として、著作者の死後も人格権の侵害となる行為をしてはならない)。

著作者人格権には以下の権利が含まれます。


参考文献


著作物

著作物は大別すると「一般の著作物」、 「二次的著作物」、「編集著作物」および「データベースの著作物」という3つの種類に分けられます。ここでは、著作物の中心的な考えを表している「一般の著作物」について説明をします。

現在、著作権法では以下のような種類の著作物が「一般の著作物」として認められています。

  1. 小説、脚本、論文、講演その他の言語の著作物
  2. 音楽の著作物
  3. 舞踊または無言劇の著作物
  4. 絵画、版画、彫刻その他の美術の著作物
  5. 建築の著作物
  6. 地図または学術的な性質を有する図面、図表、模型その他の図形の著作物
  7. 映画の著作物
  8. 写真の著作物
  9. プログラムの著作物
    (著作権法10条1項)

ここには具体的には名前が挙げられていませんが、レポートや作文、短歌や俳句などは「言語の著作物」として保護されますし、ダンスの振り付けは「舞踊の著作物」として保護されます。また、漫画は「美術の著作物」とされてますし、アニメやゲームに出てくる映像などは「映画の著作物」とされています。ワープロソフトなどのソフトウェアはプログラムの著作物に入ります。

具体的な種類として以上の9つの種類が挙げられていますが、これらは以下に示す著作物の定義を満たすものとして例示されているに過ぎません。したがって、ここに挙げられているもの以外にも著作物の定義を満たすものは著作物として認められることがあります。歴史的に見ても、上記のリストは新しい技術が発明される度に、従来のリストにつけ加えられる形で更新されてきました。例えば、プログラムの著作物が1985年の改正によって加えられたことにより、ソフトウェアが著作権の対象として保護されることになりました。したがって、今後も技術の発展に応じて、このリストが変わって行く可能性があります。

さて、著作権法が保護する著作物には以下のような定義があります。「思想又は感情を創作的に表現したものであって、文芸、学術、美術又は音楽の範囲に属するものをいう」(著作権法2条1項1号)。この条文から、著作物と認められるには以下の4つの条件を満たす必要があるとされます。

(a) 「思想又は感情」を表現したものであること。
(b)「創作的」であること。
(c)「表現」であること。
(d)「文芸、学術、美術、又は音楽の範囲に属す」ものであること。

(a)の条件があるために、「富士山の高さ:3775m」といった単なるデータ、「関ヶ原の戦いは1600年に起こった」「日本の首都は東京である」といった事実の単純な記述は著作物から除かれます(新聞記事やニュースの見出しは事実の記述のように見えるかもしれませんが、これらに関しては著作権が認められています)。

次いで、(b)の条件によって、他人の模倣・コピーによって作られたものが除かれます。「創作的」と言われると芸術的に優れたものであるとか、表現技術に優れたものといった印象が抱かれるかもしれませんが、この条文では「他人の模倣ではない」程度の意味しかありません。したがって、芸術的に平凡であったり、技巧が拙いものであっても、他の条件が満たされていれば著作権は発生します。また、著作権法は「絶対的排他性」を保証するものではありませんので、仮に2人の人間が互いの存在を知らずに、きわめて類似した著作物を創作した時には、両者にそれぞれ著作権が認められます(2人以上の場合でもその人数分だけ認められます)。この場合の「2人」は時間的な距離があっても問題ありません。ですので、例えば過去に誰かが執筆した論文と表現上の非常によく似た論文を私が書いたとしても、過去の執筆者の論文に私が実際アクセスしていないということが認められさえすれば、私が書いた論文に関しては、私に著作権が発生することになります。このようなことは同じ知的財産権に属する特許権の場合には生じません(特許権は絶対的排他性を保証します)。このことには、著作権と特許権とでは権利取得のための手続きが異なることも関係しています(「知的財産権」、「無方式主義」を参照)。

(c)の「表現であること」という条件は、思想や感情そのものは保護しないということを意味しています。またこれによって、「アイデア」そのものもまた著作権では保護されません(アイデアは特許権によって保護されるものとされています)。しかし、アイデアを解説したもの、文章として表現したものは著作権の保護の対象になりえます。例えば、「回転寿し」というアイデアそのものは著作権法によって保護されませんが、「回転寿しの作り方」「回転寿しというシステムの解説」といった文章は著作権によって保護される対象となりえます(なお、回転寿しの特許権は保護期間を終えています)。著作権によって保護されるのは「表現」のみです。

(b)と(c)を組み合わせることで、保護の対象が「創作的な表現」に限定されます。このため、短すぎる表現も保護の対象とならない場合があります。本の装丁や背表紙に描かれた文字には著作権が生じる場合がありますが、本の「タイトルそのもの」には著作権が認められない場合があります。このような短い表現にまで著作権を認めてしまうと、例えば、誰かが「Love Letter」という曲を作った場合に、その人以降「Love Letter」というタイトルの曲を作れなくなってしまいます。こうなると、われわれの創作活動は大きく制限されることになるでしょう。また、挨拶文などありきたりな紋切り型の表現も著作権で保護されません。ただ、商品名やブランド名などの表現は商標権として別の法律によって保護されます。

(d)の「文芸、学術、美術、又は音楽の範囲に属す」ものであることという条件もそれほど強い制限を課すものではなく、特許法や実用新案法で保護されるような発明や考案を除外するための文言です。これによって、工業製品や、一般的な構造のビルなどは著作権保護の対象から外れます。このため「建築の著作物」には「美術的な価値が認められるもの」という限定があります。

著作権が発生するためには特定の手続きを必要としないため(「無方式主義」参照)、以上の条件を満たしていれば、それが俳句や川柳、標語のような短い(しかし、短すぎない)文章でも、また即興で披露した歌など譜面や録音されていない音楽も自動的に著作権の保護対象となります。また、ブログ等でインターネットに公開している文章にも著作権が発生することがあります。


参考文献


同一性保持権

同一性保持権は、著作者人格権に含まれる権利です(「著作権(人格権としての)」参照)。著作権法に「著作者は、その著作物及びその題号の同一性を保持する権利を有し、その意に反してこれらの変更、切除その他の改変を受けないものとする」(著作権法20条)と定められているように、著作者は自らの著作物が使用される際に、著作物やそのタイトルについて、自らの意に反する形で変更や切除が行われているのを認めた場合、その使用を差し止める権利をもっています。著作者人格権は財産権を譲渡した後にも著作者の元に残ります。例えば、ある作詞家が自らの歌詞に関する財産権としての著作権を歌い手に売り渡したとしましょう。この場合、同一性保持権の観点からすると、歌い手は「一旦買い取ったのだから、後は自分の好きなように歌詞を変えて歌ってもかまわない」というようにはできません。作詞家から買い取ったのは財産権のみであり、人格権は譲渡されないからです。したがって、歌い手は歌詞の改変に関しては変わらず作詞家の意向の範囲内でしか行えないことになります。

この同一性保持権があるために、我が国では二次的著作物の創作に一定の制限が課されているとも言われています。1970年に起きた「パロディモンタージュ写真事件」(最高裁判決1986年5月30日)では、白川氏によってカレンダー用に撮影された写真を用いて、マッドアマノ氏の作ったモンタージュ写真が、オリジナルの写真の同一性保持権もよび氏名表示権を侵害しているとして告訴されました。この裁判において、最高裁判所は「本件モンタージュ写真がパロディと評価されうるとしても、被告上告人[白川氏]が著作者として有する本件写真の同一性保持権を侵害する改変であり、かつ、その著作者としての被上告人の氏名を表示しなかった点において氏名表示権を侵害したものであって、違法なものである」との判決を下しました(判例時報一一九九号26ページ)。この判例が示すように、我が国では米国等に比べて、パロディ等による二次的著作物の製作が制限されていると言えるでしょう。

なお、出版物における誤植ないし校正ミスの訂正(意味内容に重大な変更をきたさない場合に限る)、教科書用図書に掲載する場合の用字・用語の変更、建築物の増改築および修繕、プログラムのコンバージョン・デバッグ・バージョンアップに必要な改変は例外とされています。


参考文献


複製権

現著作物のままでの利用権の中で最も重要なのは「複製権」です。これは、「著作物を『形のある物に再製する』(コピーする) ことに関する権利(『著作権テキスト』p. 14)で、手書き、印刷、写真撮影、複写、録音、録画、PCのハードディスクやサーバーへの蓄積など、技術を問わず、再製にあたる行為が含まれます。建築の著作物に関しては、図面に従って建築物を造ることも複製にあたります。

なお、2010年改正により、検索エンジンを運用するためのキャッシュや、PCのテンポラリーファイルと言った一時的にしか保存されない領域におかれるデータの保存は「複製」の範囲から除外されることが示されました。


参考文献


無方式主義

わが国では、著作者が何らかの手続きをとらなくても、著作物には自動的に著作権が生じます(著作権で保護される著作物については「著作物」を参照)。これを「無方式主義」と言います。対して、著作物を著作権の保護対象としてもらうのに一定の手続きを必要とするやり方を「方式主義」と言います。一昔前までは、米国が方式主義を採用しており、わが国の著作物でも米国の著作権法の保護対象とするには、ⓒマークを明示する必要がありました。しかし、現在は米国も無方式主義を原則とする「ベルヌ条約」を締結し(1989年)、無方式主義を採用しています。したがって、現在はⓒマークを付ける法律的な意味はほとんどなくなっています。

著作権は著作権者に著作物利用の排他的独占権を与えるものですが、無方式主義を採用しているため、この独占権は相対的なものにとどまります。というのも、例えば、同時期に2人の人間が、互いに相手の存在を知らずに、きわめて類似した著作物を創作したとしましょう。この場合、現行の制度では両者に自分の著作物に対する著作権が生じます。無方式主義の論理から言えば、著作権が発生するのには特定の手続きが必要ありません。加えて、無方式主義という原則の下では自分の創作した著作物に類似した著作物が現在誰かによって創作されつつあるか、さらには過去に類似した著作物が存在したかを正確に調べることは困難です。したがって、既存の著作物に非常に類似した著作物を創作したとしても、類似対象へのアクセスの存在が証明されない限り、著作者には著作権が発生することになります。

対して、著作権同様知的財産権の一つに挙げられる特許権の場合はこうはいきません(「特許権については「知的財産権」も参照)。特許権は発明に対する排他的独占権ですが、これは絶対的排他権です。特許法では特許権に関して方式主義を採用しています。すなわち、一定の手続き(この場合は特許の出願)を経なければ特許権が発生しません。わが国は先願主義をとっていますので、出願した順番に特許権が発生します。結果、同時期に同じ発明をしたとしても、一瞬でも先に誰かがその特許を申請していたならば、発明者には特許権が生じないことになります。したがって、特許の出願を行う人は予め、同じ発明が出願されていないかを逐一調べておく必要があるのです。


参考文献