arc-an2004

京都大学考古学研究室の最近の調査活動から

紫金山古墳発掘調査の概要と目的(2003年度)

調査の概要

調査遺跡 大阪府指定史跡 紫金山古墳

所在地  大阪府茨木市室山1丁目

調査主体 京都大学大学院文学研究科考古学研究室

調査指導 大阪府教育委員会・茨木市教育委員会

調査日程 2004年8月2日(月)~9月5日(日)(予定)
*発掘作業は土曜日・日曜日もおこない、月曜日を休日とします。
*雨天の場合は作業を休止します。
*作業日程は、進捗状況に伴い変更する場合があります。


調査の目的

 紫金山古墳は、後円部墳頂に給水用の貯水槽を建設する際に竪穴式石槨の一部が偶然みつかったことで、その存在が知られるようになりました。1947年4・5月に、大阪府教育委員会の古文化紀念物調査委員会の事業として、梅原末治を主査、小林行雄を担当者とする発掘調査が行われ、竪穴式石槨の内部と壁体上部外縁から、三角縁神獣鏡や腕輪形石製品をはじめとする多様な遺物が発見されたことで知られています。しかし、この調査では古墳の墳形・規模・構造について充分には追求されませんでした。そうした問題を明らかにするために、2003年3月に紫金山古墳の墳丘測量調査を、2003年8・9月に発掘調査を行いました。今回は、それらの成果をふまえた上で、以下の問題を解決するために、墳丘の発掘調査を行います。

(1)北側くびれ部の墳丘構造・古墳範囲の解明
 2003年の調査で完掘できなかった第4トレンチを再発掘し、後円部の葺石の広がりと墳丘の構造を明らかにし、北側くびれ部の構造の理解を深めることを目指します。また、第3トレンチのうち、第4トレンチに接した部分を再発掘し、さらにトレンチを北側に拡張して、前方部北側墳丘裾周辺における遺構の有無を検討します。

(2)後円部南西側の平面形態および立体構造の追求
 1947年の調査以来、紫金山古墳は「前方後円墳」として知られてきました。しかし、最近、その墳形を「前方後方墳」とする説が提示されています。昨年の測量調査・発掘調査の結果からみて、「後方部」のようにみえるのは、貯水槽建設に伴う墳丘の人為的改変や、地滑りなどによる墳丘の変形などの結果によるものであり、紫金山古墳は前方後円墳である可能性が高いと考えています。ただ、昨年の調査成果だけでは前方後円墳説を積極的に主張する材料が不足しています。また、後円部の範囲についても、北側斜面は後世の破壊により原形をとどめておらず、南側斜面については墳裾と考えうる明確な傾斜変換点を見いだすことができずにいるのが現状です。そこで今年の調査では、墳丘の主軸から南西に45度振った方向にトレンチを設定して(第5トレンチ)墳裾の位置を追求し、墳丘の範囲および平面形態を明らかにすることを目指します。また、斜面の葺石やテラスの位置を明らかにし、3段築成であることが明らかになった第1トレンチの構造と比較することにより、後円部の立体構造を解明する手がかりを得たいと思います。

(3)前方部南側斜面の平面形態および立体構造の追求
 2003年の発掘調査により、前方部の北側斜面は3段築成であり、各段斜面には葺石があったことが明らかになりました。一方、前方部前面(東側斜面)では、小林行雄が想定していた墳裾より1段低いところに葺石が確認されたことで、前方部の形状が従来知られてきたものとは大きく異なる可能性がでてきました。今年度の調査では、前方部南側斜面にトレンチを設定して(第6トレンチ)墳裾の位置を明らかにし、前方部の基本的な平面形態を確定したいと思います。また、段築の状況、葺石の詳細な構造、埴輪列の有無などを追求し、前方部の立体構造を復元するための、より具体的な手がかりを得たいと思います


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