京都大学考古学研究室の最近の調査活動から
1.はじめに
2.発掘調査の目的
3.発掘調査の成果
4.出土遺物
5.調査成果のまとめと今後の課題
紫金山古墳は、後円部頂に給水用の貯水槽を建設する際に竪穴式石槨の一部が偶然みつかったことで、その存在が知られるようになりました。1947年4・5月には、大阪府教育委員会古文化紀念物調査委員会の事業として、梅原末治を主査、小林行雄を担当者とする発掘調査がおこなわれました。その結果、竪穴式石槨の内部や壁体上部外縁から、12面の銅鏡をはじめとする多様な遺物が発見され、古墳時代前期を代表する古墳として広く知られてきました。
しかし、1947年の調査で墳丘の測量がおこなわれ、また部分的な発掘により葺石や埴輪列の存在が確認されたものの、具体的な古墳の形態・規模・構造については、ほとんど明らかにされてきませんでした。こうした問題を解決するために、京都大学考古学研究室では、科学研究費の交付を受け、3年計画で紫金山古墳の墳丘調査を進めることになりました。2003年3月に墳丘の測量調査をおこない、本年度は、紫金山古墳の墳丘の規模と形態を明らかにするために、去る8月1日より発掘調査を実施しています。
今回の発掘調査は、紫金山古墳の墳丘の規模と形態をめぐる、以下のような課題を解決するためにおこなっています。
(1)全長の確定
1947年の発掘調査と測量調査により、紫金山古墳は東西方向に主軸をとり前方部を東側に向けた古墳であることが明らかになり、その全長は100mとされてきました。しかし、改めて墳丘の測量調査をおこなった結果、かつて古墳外と推定された部分にまで墳丘が広がる可能性がでてきました。そのため、古墳の主軸にそって後円部の西側斜面(第1トレンチ)と前方部の東側斜面(第2トレンチ)にトレンチ(調査区)を設定して墳裾の位置を確認し、古墳の全長を確定することにしました。
(2)墳形の解明
1947年の発掘調査以来、紫金山古墳は「前方後円墳」として知られてきました。しかし、最近、その墳形を「前方後方墳」とみる説が提示されています。再測量の結果、「後方部」のようにみえる部分は、貯水槽建設に伴う墳丘の改変を反映している可能性があり、全体的にみれば前方後円墳である可能性が高いと考えていますが、決定的な証拠を得ることができませんでした。こうした問題を解決するために、本来の墳形を比較的良好に残していると考えられる前方部北側斜面(第3トレンチ)および北側くびれ部裾(第4トレンチ)にトレンチを設定しました。
(3)外表施設と段築の解明
1947年の発掘調査により、紫金山古墳には葺石と埴輪列が存在することが確認されています。しかし、それは狭い範囲の調査による知見であり、葺石・埴輪列といった外表施設やそれと深く関連する段築の状況については、ほとんど明らかになっていないのが実情です。そうした情報を今回設定した各トレンチの調査により獲得し、古墳の具体的な姿を解明する手がかりを得たいと考えます。
各トレンチにおけるこれまでの調査成果は以下の通りです。
(1)第1トレンチ
後円部後端の位置、および後円部における葺石・段築・埴輪列の状況を明らかにするために、墳丘の主軸に沿って後円部西側斜面に設定した、幅1.5m、長さ18mのトレンチです。
土層の検討により、トレンチ内で確認できる墳丘は、地山(古墳がつくられる以前から堆積していた土)を削り出してつくられたことが明らかになりました。また、西側の自然丘陵との地形的な関係から、後円部西側斜面は、東西にのびる自然丘陵の端部を分断してつくられたことがわかります。トレンチ内では、2つの平坦面と3つの斜面を確認しました。上段斜面にはほとんど葺石が残っていませんでしたが、中段および下段斜面では、下端に大振りの石(基底石)を据え、それより上の斜面に石を葺いた状況が確認されます。各平坦面では埴輪列を確認することはできませんでしたが、トレンチのおもに上半から、円筒埴輪と朝顔形埴輪の破片が出土しました。
(2)第2トレンチ
前方部前端の位置、および前方部における葺石・段築・埴輪列の状況を明らかにするために、墳丘の主軸に沿って前方部東側斜面に設定した、幅1.5m、長さ約19mのトレンチです。
土層の検討により、トレンチ内で確認できる墳丘は、地山を削り出してつくられたことが明らかになりました。トレンチ内では、2つの平坦面と2つの斜面を確認しました。上側の斜面には葺石は残っていませんでしたが、その下側にとりつく平坦面上には転落した葺石が集積していたので、本来は葺石が存在したと考えられます。下側の斜面では下端にのみ葺石が残っていました。下側の斜面とその下側にとりつく平坦面の境が前方部前端であるとすると、紫金山古墳の全長は、1947年の調査時の推定より10m強大きくなることになります。トレンチ内からは、埴輪片が少量出土しました。
(3)第3トレンチ
前方部北側側面における葺石・段築・埴輪列の状況を明らかにするために設定した、幅1.5m、長さ約23mのトレンチです。
土層の検討により、トレンチ内で確認できる墳丘は、地山を削り出してつくられたことが明らかになりました。トレンチ内では、2つの平坦面と3つの斜面を確認しました。各斜面には比較的良好に葺石が残っています。上段と中段斜面の葺石は、1・2トレンチの葺石にくらべて大振りの石が用いられています。現在まで埴輪列は確認されていませんが、他のトレンチにくらべて、比較的多くの埴輪片が出土しています。
(4)第4トレンチ
墳形を解明するための手がかりを得るとともに、北側くびれ部における葺石・段築・埴輪列の状況を明らかにするために設定したトレンチです。当初、南北4m、東西4mのL字形に設定しましたが、調査の結果、後円部と前方部が接する地点がトレンチ外に位置する可能性が高くなり、東側を南北4m、東西2mにわたって拡張しました。
現在掘削中で、本来の墳丘面を確認できていませんが、トレンチの西半では墳裾を反映している可能性のある傾斜変換線が丸みをもって西側へ続いていく状況が確認されています。また、東半では基底石としてふさわしい大きさの石が列状に検出されつつあります。円筒埴輪片と鰭付円筒埴輪片が出土しており、とくに鰭付円筒埴輪片は拡張部分からまとまって出土しました。また、古墳に直接伴わないと考えられる須恵器の坏身、坏蓋、壺などが、それぞれ地点をわけてまとまって出土しています。
各トレンチから埴輪片が出土しており、円筒埴輪、鰭付円筒埴輪と朝顔形埴輪があります。形象埴輪は確認されていません。
円筒埴輪は、(1)器壁が薄く、鍔状の高く突出する突帯をもつもの、(2)器壁が厚く、断面台形でそれほど高くない突帯をもつもの、があります。口縁部は強く外反するもので、口縁部の直下に突帯を貼りつけているものもあります。突帯間隔、底部高(底面から最下段の突帯までの高さ)がわかるものはわずかですが、ともに約20cmとなっています。透かし孔の形状が確実にわかる破片はみつかっていません。調整は、外面にタテハケ、内面にはヨコハケを施しています。底部内面にはケズリを施しているようです。黒斑が認められます。
鰭付円筒埴輪の鰭部の幅や形状にはバラエティがあり、定形化以前のものと考えられます。
朝顔形埴輪は頸部が出土しています。肩部との接合部および頸部の中ほどに突帯を貼りつけています。外面調整は、ナナメハケの後にヨコハケを施しています。
本来樹立されていた位置を保って出土した埴輪は確認されていません。埴輪片の出土量から考えると、紫金山古墳に樹立された埴輪はそれほど多くはなかったようです。
5.調査成果のまとめと今後の課題
今年度の発掘調査により、従来明らかになっていなかった紫金山古墳の墳丘の原状を復元するためのいくつかの手がかりを得ることができました。その成果をまとめると以下のようになります。
(1) 墳丘の大部分は地山を削り出してつくられたと考えられる。
(2) 墳丘は、基本的に3つの斜面と2つの平坦面からなり、斜面には葺石をもつ。
(3) 前方部前端の位置が従来の想定よりも外側にあることが明らかになった。これにより、100mとされてきた古墳の全長はさらに長くなると考えられる。
(4) 埴輪列を確認することはできなかったが、各トレンチで埴輪が出土していることから、墳頂などを中心に埴輪が樹立されていたと推定される。
一方、今後検討すべき課題も少なくありません。まず平面形態については、第4トレンチの様相からみて、前方後円形である可能性が高いと考えられます。しかし、墳形を決定するためには、今後ほかの地点にもトレンチを設定することによって、さらに検証する必要があります。今回各トレンチでみつかった斜面と平坦面がどのようにつながるのかについても、データが不足しており、具体的な立面形態の復元は今後の検討課題としたいと思います。
また、出土した埴輪については、今後の整理作業を通して、その形態や製作技術上での特徴を把握していきたいと考えています。周辺地域の古墳から出土した埴輪との比較から、その年代を明らかにし、さらに竪穴式石槨の副葬品から推定されていた古墳の年代観と総合することで、紫金山古墳の年代についての検討を進めていきたいと思います。
謝 辞
今回の調査にあたっては、大阪府教育委員会・茨木市教育委員会のご指導を受け、大阪第二けいさつ病院からは、敷地の一部利用をご許可いただきました。また周辺住民の皆様のご協力を得て、順調に調査を進めることができております。皆様のご配慮に対して御礼申し上げるとともに、今後ともご支援のほどよろしくお願い申し上げます。