土井(旧姓:久保)虎賀壽は、1902年2月19日、香川県木田郡坂ノ上村大字上田井字川久保(現在高松市由良町622)に、父久保良造と母登泉の長男として誕生した。1926年京都帝国大学文学部哲学科を卒業、その後、5年間にわたり同大学文学部大学院に特待生として在籍し、西田幾多郎や田辺元、天野貞祐らに学んだ。1929年4月、第三高等学校講師に着任(1941年より教授に就任)、その後広島文理大学講師、京都大学文学部講師、同大学法学部講師をつとめた。1948年には、第三高等学校教授および京都大学法学部講師を辞任した後、東京大学文学部大学院に入学し、二年間仏文学を専攻した。1953年4月より、相模女子大学教授ならびに学習院大学講師に歴任。また、同年から、東大寺の委嘱により大仏開眼千二百年記念事業の一端である「大方広仏華厳経」のドイツ語訳に着手。1964年3月に相模女子大学教授を辞任後、4月より獨協大学教授に就任した。なお、この前年に、足掛け十一年にわたる華厳経の翻訳を完成させており、全四巻が死後出版されている(全四巻)。1971年3月10日に東京都の稲城中央病院で死去、享年69歳。
土井の業績として挙げられるのは、まずは『華厳経』ドイツ語訳の完訳である。土井はそれまで、主著と呼べるようなまとまった著作を遺していない。そのため、例えば西谷啓治からは「何一つやり遂げたことがない」と揶揄されたこともある。土井自身、それを自評としても受け入れていた。しかし、その土井が成就したドイツ語訳は、死後出版され、2008年にはAngkor Verlagより再刊され、現在まで読み継がれている。なお、土井によるドイツ語の華厳経入門はハイデガーの目に留まり、ハイデガーから謝辞を記した手紙を受けている。
また、教育者としての土井の功績も見逃すことは出来ない。土井は、戦後、突如教授や講師職を辞して大学院生に転身するなど、数々の突飛な言動があった。それ故「異端児」、「奇人哲学者」と評されることもある。しかし一方で「土井(どい)虎(とら)」の愛称で、とりわけ教え子から親しまれていた。土井最後の論文集『時間と永遠』(1974)の編集・企画を務めた仏文学者の粟津則雄(1927- )や筑摩書房元社長の竹之内静雄(1913-1997)をはじめ、ノーベル物理学賞受賞者の江崎玲於奈(1925-)も土井の教え子である。「彼の理想に燃えて学問に取りつかれた心は学生たちの心をもとらえて離さず、われわれを論理の世界に引きずり込みました」(江崎玲於奈「個の創造性を大切に」『平成19年版科学技術白書』)という江崎の評は、教育者としての土井が、教え子たちを如何に感化したかをよく伝えている。
学生時代に師事した西田幾多郎をはじめ、田辺元や天野貞祐らとは、書簡などを通じて人間的、思想的交流が生涯にわたり続いた。とりわけ天野は、土井を高く評価し獨協大学に招聘するなど、公私ともに彼を支え続けた。
土井の生涯にわたる思索の中心には、華厳経とゲーテがあった。土井は、1928年終わりから約一年半、京都の妙心寺で高山岩男、稲津紀三、鹿野治助らと共に華厳経について勉強し、その成果を「大悲の論理学」(1930)にまとめた。その後、1953年に華厳経のドイツ語訳に取り組むが、以降、華厳思想、とりわけ「事々無礙」や「性起」の概念、それにまつわる諸問題が、土井の思索の中心的課題となった。また、ゲーテにおける「自然」や「敬虔性」を巡る考察思索は、初期のゲーテ論から遺作「非人称的世界(エスヴェルト)と象徴世界(ジンボルヴェルト)」(『時間と永遠』1974)に至るまで、土井の思索の導きの糸となった。
土井自身が語っている通り、彼の「思索を導く大前提」は、「時間と永遠、人間と神の関係」であった。この根本テーマを支える土井の思想とは一言で「有限(時間・人間)と無限(永遠・神)とは自己否定を介して媒介的に成立する」ということであろう。土井は、まずこの考えを、ゲーテの概念「敬虔性(Ehrfurcht)」(『ゲーテ箴言抄』)や、ニーチェの「生成」(『生成の形而上学序論 第一部』)という思想的モチーフを手掛かりとし展開する。そこで論じられたのは、有限が自己否定を通じて無限に転換するという問題であった。さらに、浄土思想における「大悲」や華厳経の「性起」といった論議を検討する中で、有限(人間・衆生)と無限(神・仏)の「切断」および「相互媒介」が強調されるようになる。それはつまり、自己と絶対的に異なる他者による否定的媒介を通じてのみ、互いが真の主体性として成立するということである。土井は、このような事態を「華厳の事々無礙と三界唯心」(『時間と永遠』)において、「衆生は仏に媒介されて始めて衆生であり、衆生は仏に媒介されて始めて衆生である」と端的に述べている。そして土井は、神(仏)と人間(衆生)の関係のみならず、「時間」と「永遠」、また「物」と「主体」との間にも、「切断」されたもの同士の「自己否定」的な「相互媒介」という関係性を見出してゆくのである。
A. 一次文献
B. 土井による翻訳その他
管見の限り、土井の著作は全て絶版となっており、古書としてのみ入手可能である。宗教・文学・文化に関わる土井の縦横無尽な哲学的思索に触れるには、『時間と永遠』(1974)が最適であろう。編者の粟津則雄(旧制三高で土井に師事)によれば、本書には、「大乗仏教の論理と、ギリシャ哲学からゲーテ、ニーチェを経て、ハイデガーに通じる西欧存在論との結合統一」という、土井の「基本主題を、もっとも明確なかたち」で示す、戦後から晩年までに書かれた諸論考が収録されている。特に、土井自身が「私の思索の基本線」と語る、「時間と永遠、人間と神の関係」を主題的に論じた「時間の問題」、「時間の主体性と永遠の今」から読み始めることを薦める。この二つの時間論を通じて、「現実」と「事実」の区別や、「切断」された事物同士の「相互媒介」と「転換」といった、土井の思索における基本的な枠組みについて、一通りの理解が得られよう。そうなれば後は、それぞれの関心に応じて読み進めることができる。即ち、華厳経翻訳者としての土井虎賀壽に関心があれば、「華厳の事々無礙と三界唯心」および「時間と事々無礙の哲学」を、また、東西思想の結合統一という主題に関心があれば、「大智と大悲――信仰の弁証法――」や「実存主義と仏法の無神論」を、といった具合に読み進めればよい。ただ、宗教、文学、哲学を横断する思索の集大成にして未完の大著が含む「非人称的世界と象徴世界」に取り組むには、前掲のの諸論考に加え、土井のゲーテ論やニーチェ論が必須の文献である。
土井の思想研究は未踏であると言わざるを得ない。その原因の一端は土井の論述にある。注もほとんど付されず、また議論がしばしば未完、あるいは断片的である土井の論述を理解するのは容易ではないが、一方「弁証法」や「永遠の今」という京都学派の哲学者たちが共有した諸概念を独自の仕方で展開した土井の思索には、興味深い観点があることも事実である。執筆者の知る限りでは、仏教学者、久保紀生の仏教と哲学の抱合――土井虎賀寿の場合」(『大正大学綜合仏教研究書年報』第19号、1997年)ならびに「実存哲学から華厳思想へ――土井虎賀壽研究」(『大正大学綜合仏教研究書叢書第十七巻 仏教の人間観』2007年)が、貴重な先行研究として挙げられる。また、樽見博が作成した「土井虎賀壽著書目録」(『日本古書通信』第83号、2008年)そして樽見によるその補足コメント(https://company.books-yagi.co.jp/archives/4476)は、土井の文献学的研究を進める上で、重視されてよい。なお、土井の人柄や交友関係については、竹田篤司『物語京都学派』(中公叢書、2001年 / 中公文庫、2012年)に多少の記述がある。さらに、土井の教え子、青山光二の小説『われらが 風狂の師』(新潮文庫、1987年)に登場する土岐数馬のモデルが土井であることは、周知の事実である。しかし、その生涯や人柄は克明に描き出されているものの、青山が言う通り、これは伝記ではない。
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