思想家紹介 大西祝

大西祝(おおにし はじめ)元治元(1864)―明治33(1900)

大西祝

略 歴

元治元年8月7日、岡山市に生まれた大西は、京都の同志社英学校(現 同志社大学)に学び、東京大学予備門編入後、東京大学文学部に入学。大学院卒業後まで一貫して哲学を研究した。「良心起原論」はその成果である。東京専門 学校(現早稲田大学)の講師として招聘され、哲学、倫理学、心理学、美学などの講座を担当。門下から綱島梁川など優秀な人材の輩出を見た。明治31年欧州 留学に出発。この洋行は京都大学の文科大学設立を準備するためであったといわれ、文科大学の初代学長にも推されていた。しかし病を得、中途で帰国。転地療 養の甲斐なく亡くなった。

アウフクレールンクの語を啓蒙主義と訳すのは大西に始まったことといわれる。このことからもうかがわれるように大西の思想 は本質的に啓蒙主義的であった。彼の根本的立場をあらわした語に「批評主義」があるが、彼の批評主義は思潮評論と学問的営為の二重のレベルにおいて遂行さ れた。批評主義は、思潮評論方面では「国家主義」にも「西洋主義」にもくみしない、理性の「公明且正大なる試験」にのみ依拠する自立の立場として、また、 学問的方面では曖昧さや安易な折衷を許さない徹底的な論理化の態度として現れた。

大西はみずから「不平家」たらんとしたが、それは「理想」を実社会において実現しようとする「改良家」たらんとする自覚に 基づいている。この態度は彼の学問全体を貫いており、それが彼の哲学に向き合う姿勢を決定づけている。大西は「日本哲学の父」と呼ばれるにふさわしい思想 家である。彼の登場によって日本哲学は、表面的な受容の段階から本格的な研究・論理化・体系化の段階へと引き上げられることとなった。

主 要 著 作

  • 「良心起原論」(大西博士全集 第5巻)
  • 「西洋哲学史」(大西博士全集 第3,4巻)
  • 「倫理学」(大西博士全集 第2巻)
(1)大西のテキスト
  • 大西博士全集(警醒社 1903-7年)※日本図書センターから1982年に再版された。
  • 石関敬三,紅野敏郎編「大西祝・幾子書簡集」(教文館 1993年)
  • 現代日本思想体系24 哲学思想(筑摩書房 1965年):「批評心」を収録
(2)大西の思想への入門書
  • 藤田正勝編『知の座標軸 ―日本における哲学の形成とその可能性』シリーズ近代日本の知1(晃洋書房 2000年)。大西の思想の概要について水野が論じた論文「批評主義のゆくえ」を収載。
  • 藤田正勝編『日本近代思想を学ぶ人のために』(世界思想社 1997年)。平山洋氏が大西紹介の箇所を担当している。下記『大西祝とその時代』(日本図書センター 1989年)のダイジェスト版といったところである。
  • 平山洋『大西祝とその時代』(日本図書センター 1989年)。大西の生涯を通時的に詳しく紹介した力作。
  • 行安茂『綱島梁川』(大空社 1997年)。大西の思想の核心を「自己実現」にあることを明らかにした上で、その立場が綱島に継承されていったことを解明した著作。
  • 高坂正顕『明治思想史』京都哲学撰書1(燈影舎 1999年)。明治期日本哲学の哲学史を説いた書。大西は明治哲学の新境地を開拓した人物として位置づけられている。大西によって明治哲学が漠然たる折衷 主義、空想的類推的な形而上学たることを排し、厳密な意味での学問性が持ち込まれたと評価されている。
  • 陶山務「大西祝と内村鑑三 ―知と信の人間像」(笠間書院 1975年)。キリスト教徒としての大西の信仰に関して解説がある。
  • 当時の大西の周辺の雰囲気を味わうには、島崎藤村『桜の実の熟する時』がよい。作品中Sの名で登場する人物が大西である。
(3)大西の思想の基礎となった思想家
カントカント グリーングリーン
  • I. カント:大西の良心論は多くをカントの道徳論に拠っている
  • M. アーノルド:カントとならんで大西「批評主義」の基礎となった思想家
  • T. H. グリーン:大西の宗教思想はテレオロジカル・エボリューション(teleological evolution)の立場といわれるが、その源はグリーンに求められる。
  • その他、H. ヘフディング、S. キルケゴールといった思想家との関連が注目される。
(水野友晴)

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