2018年度の授業

日本哲学史研究室ホーム

講  義

教官 上原 麻有子 種別 講義 学部(2回生以上)
曜日・時限 前期 火・5 教室 総合研究2号館 第8講義室
題目 日本哲学史講義1
概要・目的 日本哲学史を①西田幾多郎、②近代日本哲学の発展から京都学派の哲学への二部に分けて日本哲学の形成過程を概観し、さらに、これまで論じられてきた主要問題を通して日本哲学のあり方、意義について検討する。このようにして日本哲学史についての理解を深めることが、授業の目的である。
内容 以下のような課題に基づき、各課題につきおよそ次の回数で授業を進める予定である。
①ガイダンス:「日本哲学」とは何か【1回】
②西田幾多郎【4回】
③近代初頭から西田幾多郎までの哲学史と哲学研究方法の特徴【4回】
④京都学派【4回】
⑤まとめ【1回】
⑥フィードバック
テキスト・参考文献 授業中に紹介する
教官 上原 麻有子 種別 講義 学部(2回生以上)
曜日・時限 後期 火・5 教室 総合研究2号館 第8講義室
題目 日本哲学史講義2
概要・目的
京都学派とその周辺の哲学者の思想を、いくつかのテーマを追う形で考察することが、この授業の目的である。さらに、講義で考察する日本哲学の問題が、私たち各自の経験においてどのような意義をもつのか、その経験とどのように結びつき得るのかについても検討する。
内容 以下のような課題(日本哲学史上の主要問題)を講義では扱うが、1課題に充てる講義の回数は2~3回である。
①偶然と運命
②生と死
③人間関係
④風土
⑤日本語と哲学
⑥日本における主体とsubject
⑦フィードバック
テキスト・参考文献 授業中に紹介する

特殊講義

教官 上原 麻有子 種別 特殊講義 学部(3回生以上)・大学院
曜日・時限 後期 水・4 教室 文学部新館 第9演習室
題目 中井正一の哲学に見る芸術と技術の競演
概要・目的  京都学派の哲学者、西田幾多郎、三木清、戸坂潤らによる技術の哲学の研究は、日本の研究者の間では比較的よく知られている。しかし「技術哲学」という分野の自体研究、まだ十分に展開されたものとはなっていないようだ。上記三人の名は、技術哲学を構築した代表的な哲学者として認識されているだろうが、本講義では、中井正一(1900-1952)という哲学者に焦点を当てる。中井は美学・芸術を専門とする哲学者であったが、技術論は、彼の思索の中に1つのテーマとして現れていると言えよう。中井の技術が、美と芸術との関連からどのように形成されたものであるのかを明らかにするのが、本講義の目的である。戦前から戦後にかけて彼が注目した、「集団」「大衆」「機械化」のような文明の一見ネガティヴな側面を、中井はポジティヴに理解し直し、自らの技術論、美学・芸術論に取り込んだ。これによって映画理論を生み出し、また「委員会の論理」と命名された「論理」を構築した。このよう特徴を理解するために、講義ではさらに西田、三木、戸坂、三枝博音の技術哲学と比較検討する。
内容 以下のような課題を通して考察を深めてゆく。各課題に充てる予定の回数を、【 】内に示しておく。

①ガイダンス―趣旨説明(技術とは何か、技術哲学とは何か)【1回】
②中井正一の哲学の概要【2回】
③「委員会の論理」を中心とする中井のテキストの読解・解釈:技術と芸術の競演について【5回】
④京都学派の技術哲学(西田幾多郎の行為的直観・三木清の構想力の論理/技術哲学・戸坂潤の技術哲学【3回】
⑤三枝博音の技術哲学【3回】
⑥まとめ(芸術から見る技術の意味)【1回】

テキスト・参考文献 授業中に指示する
教官 杉村 靖彦 種別 特殊講義 学部(3回生以上)・大学院
曜日・時限 前期 水・4 教室 教育学部第二講義室
題目 「自己同一」をめぐる諸考察
概要・目的 哲学と宗教の双方において、「自己が自己である」という一見当たり前のことが、理論的にも実践的にも容易ならざることとして繰り返し問われてきた。この意味での「己事究明」は、自己や主体という言葉が重みを失っているように見える現代においても、宗教哲学の第一の課題でありつづけている。
本講義では、そうした課題に立ち向かうために了解し咀嚼しておくべき重要な思想の数々を、近現代の哲学史から選んで紹介し、各人が「自己同一」という問題を掘り下げていくための手掛かりを提供することを目指す。
内容 基本的には以下のテーマについて授業を進める(若干の変更の可能性あり)。

1. 「自己が自己であるということ」:問いの在処とその宗教哲学的意味
2.「考える我」と自己同一(デカルト)(1)
3. 「考える我」と自己同一(デカルト)(2)
4.「憎むべき我」と「考える葦」(パスカル)
5.「内奥感の原初的事実」としての自己同一(メーヌ・ド・ビラン)
6. 「超越論的統覚」としての自己同一(カント)(1)
7. 「超越論的統覚」としての自己同一(カント)(2)
8. 「持続する我」の自己同一(ベルクソン)
9. 「現存在」の本来的自己性(ハイデガー)(1)
10.「現存在」の本来的自己性(ハイデガー)(2)
11. 場所的自覚の「述語的自己同一」(西田)(1)
12. 場所的自覚の「述語的自己同一」(西田)(2)
13. 他者への無限責任の自己(レヴィナス)
14. 物語的自己同一性(リクール)
15. 総括

*最後の授業は、本学期の講義内容全体をめぐる質疑応答と議論の場とし、講義内容の受講者へのフィードバックを図る。

テキスト・参考文献 授業中に紹介する
教官 杉村 靖彦 種別 特殊講義 学部(3回生以上)・大学院
曜日・時限
前期 火・4
教室 第6講義室
題目 田辺哲学研究
概要・目的  田辺元の哲学的思索は、その異様なまでの凝縮度と彼固有の論理への偏愛によって異彩を放っている。田辺は西洋哲学の最前線の動向、諸学問の最新の成果を飽くことなく摂取し、歴史的現実にもそのつど敏感に反応しつつ、それら全てに自前の思索によって緊密な総合を与えるべく、生涯血の滲むような努力を続けた。彼の濃密にすぎる文章はそのようにして生み出されたものである。この凝縮体を丁寧に解きほぐし、そこに封じ込められたさまざまな展開可能性を切り出すことによって、今日のわれわれがリアルな接触をもちうるような形で語り直すこと。それが本講義の狙いとするところである。本年度は、『懺悔道としての哲学』(1946)以降、特異な形の「宗教哲学」に踏み込んだ田辺の思索の10年ほどに渡る展開を追跡し、この時期の鍵語である「実存協同」の哲学的多産性を、宗教、哲学、政治、芸術等、諸分野の交錯の中で解明していきたい。
内容 各回の授業内容は以下の通りである(細部は変更の可能性あり)。

1.本講義のアプローチの特色と狙い
2.田辺哲学の通時的展開の概観
3.「懺悔道」としての宗教哲学 (1):「他力哲学」という複合体
4.「懺悔道」としての宗教哲学 (2): 田辺の親鸞解釈
5.「懺悔道」としての宗教哲学 (3): 「共同」から「協同」へ
6.「種の論理」の行方 (1):「無即愛」の社会存在論的射程
7.「種の論理」の行方 (2): 「国家の根原悪」と戦後田辺の政治哲学
8.「実存協同」概念の成立と展開(1): 影響史的考察
9.「実存協同」概念の成立と展開(2): 概念構制の分析
10「実存協同」概念の成立と展開(3): その哲学的可能性
11「実存協同」と『キリスト教の弁証』(1): 田辺哲学とキリスト教
12「実存協同」と『キリスト教の弁証』(2): 懺悔道と「第二次宗教改革」
13『ヴァレリーの芸術哲学』読解(1): 文学制作と種の論理の更新
14『ヴァレリーの芸術哲学』読解(2): 言葉、象徴、偶然
15 総括

なお、最後の授業は、本学期の講義内容全体をめぐる質疑応答と議論の場とし、講義内容の受講者へのフィードバックを図る。

テキスト・参考文献 授業中に紹介する
教官 水野 友晴 種別 特殊講義 学部(3回生以上)・大学院
曜日・時限
前期 木・3
教室 第5講義室
題目 西田幾多郎と鈴木大拙における「東洋」の意義の研究
概要・目的  西田幾多郎と鈴木大拙は、ともに「世界文化の形成」を目的に置いた上で、「東洋」に注目した。すなわち彼らにとって「東洋」は、「世界文化」という新しい光に照らされることで新たにその意義が見いだされるべきものであった。
本特殊講義では、西田と大拙が「世界文化」という言葉のもとでどのようなことを考え、また、そこから見て「東洋」にどのような意義が置かれるべきと見ていたのかについて研究してゆく。このことは必然的に「西洋」や「現代」についての両者の見解を探ることにもつながり、また、「実在」、「知」、「自由」といった諸概念について彼らが採る基本的方向性を探ることにもつながる。さらに、「東洋」についての両者の思索を比較することで、われわれは両者の思想間に存する微妙な差異についても知ることになる。
このように西田幾多郎と鈴木大拙の思想中には、両者を同時に取り上げることを通じてよりよく見えてくるものがある。本特殊講義ではそれを提示することを目的としたい。
内容  以下の各項目について講述する。通常授業初回時には「ガイダンス」の機会を、また、通常授業15回時には「フィードバック」の機会を設けることとする。
第1回 ガイダンス
第2回 西田哲学における「実在」の基本的な捉え方:純粋経験
第3回 西田哲学における「実在」の基本的な捉え方:自発自展
第4回 西田哲学における「実在」の基本的な捉え方:現象と本体
第5回 西田幾多郎が「東洋」ということで見ようとしたもの:形なきもの
第6回 西田幾多郎が「東洋」ということで見ようとしたもの:情的文化
第7回 西田幾多郎が「東洋」ということで見ようとしたもの:世界的自覚
第8回 鈴木大拙が「東洋」ということで見ようとしたもの:霊性的自覚
第9回 鈴木大拙が「東洋」ということで見ようとしたもの:「西洋」と二元性
第10回 鈴木大拙が「東洋」ということで見ようとしたもの:無、知、一元性
第11回 鈴木大拙が「自由」「自然」といった用語から表現しようとしたもの:機心をめぐる議論
第12回 鈴木大拙が「自由」「自然」といった用語から表現しようとしたもの:「詩」
第13回 鈴木大拙が「自由」「自然」といった用語から表現しようとしたもの:創造性への復帰
第14回 西田幾多郎と鈴木大拙の思想の共通性と差異性について:世界文化をテーマに
第15回 まとめとフィードバック
テキスト・参考文献 藤田正勝『西田幾多郎の思索世界 ――純粋経験から世界認識へ』(岩波書店)
教官 小野 真龍 種別 特殊講義 学部(3回生以上)・大学院
曜日・時限 後期 木・3 教室  第2講義室
題目 日本宗教儀礼おける「聖なるもの」の諸相~プレ・モダンの「法会」・「祭礼」からのアプローチ
概要・目的 日本の「近代(モダン)」は明治政府による神仏分離・国家神道政策によって始まった。その際、多くの日本の宗教儀礼(法会・祭礼)の多くが、その「かた」の変容を余儀なくされ、伝統性を失った。しかし、国家神道制度が廃されて70年を経て、今もなお日本宗教の地下水脈となっている古来の日本宗教の重層性・多様性を再認識しようという動きが出てきている。
本講義では、「近代」によって日本の宗教儀礼に起こった改廃を確認したうえで、明治以前の日本的な「聖なるもの」の在り方を把握するために不可欠な宗教儀礼を、できる限り「近代」による歪みから逃れて再構成して提示したい。具体的には、変容を余儀なくされた法会や祭礼の元来の「かた」を復元・再構成し、それらの「「かた」の指法性」(西谷啓治)から、「かた」が指示するところの、プレ・モダンにおける、日本のフォルクス・レリギオンの「聖なるもの」の諸相を読み解く。その際、儀礼そのものに加えて、法会や祭礼に付随する多くの宗教音楽・芸能も大きな手掛かりになるであろう。
そのうえで、日本的な「聖なるもの」の変容の過程に迫り、現代における日本宗教の地下水脈を考察する。日本が西洋哲学の受容を行なったのは、日本の宗教地図の大きな変更の後だった。日本の哲学は、何を失った後に形成されたのか、また、プレ・モダンの宗教的コスモロジー回復の傾向に今後どのように関わっていくべきかを探る。なお授業では法会や祭礼そのもの、またそれらに付随する芸能についての映像を多く紹介し、視覚的にも「聖なるもの」の顕現の在り方を確認してもらいたいと考えている。
内容 基本的には以下のプランに従って講義を進める。

第1回~第3回 1.西洋儀礼論の俯瞰(典礼学、ファン・ジェネップ、ターナー、エリアーデ)
第4回~第7回 2.神仏分離の衝撃(神仏分離の過程、国家神道政策とその終焉、明治以後の雅楽伝承制度に見る日本の宗教コスモロジーの変容)
第8回~第11回 3.プレ・モダンの宗教儀礼(法会・祭礼)の諸相
・皇室儀礼の深層(大嘗祭、宮中御神楽儀)
・仏教法会の原型(四天王寺聖霊会、東大寺大仏開眼供養会)
・芸能と神道祭礼(春日若宮御祭り)
・浄土教講式(順次往生講式)
・呪的・重層的儀礼(祭礼)(東大寺お水取り、祇園社祇園祭、春日権現講式)
第12回~第14回 4.日本宗教の重層性・多様性の再評価と日本宗教儀礼論(立川武蔵、薗田稔、鎌田東二)
第15回 フィードバック

テキスト・参考文献 授業中に指示する。

演  習

教官 上原 麻有子 種別 演習 学部(4回生以上
曜日・時限 通年 金3・4 教室  日本哲学史研究室
題目 卒論演習
概要・目的
授業の目的は次の通りとする。①日本哲学の分野における論文の書き方(表現、論証、資料の調査・活用など)を習得する。②研究報告を行い、口頭による発表・議論の仕方を習得する。③卒業論文を作成する。
内容 授業は、履修者の卒業研究発表とそれに関する議論をもとに進められる。最初はまず、学術論文の書き方について教師の側から指導する。以降、履修者は前期に研究経過報告を、また後期には最終的な報告を、それぞれ口頭で行う。授業終了後の翌週は、フィードバックの回とする。
テキスト・参考文献 授業中に紹介する
その他 日本哲学史専修の4回生以上については、必修とする。
教官 林 晋 種別 演習 学部(3回生以上)・大学院
曜日・時限 通年 金・2 教室  林研究室
題目 田辺元を読む
概要・目的 手稿・日記などの一次資料を通して過去の偉大な思索者の思想を読み解く.読み解く対象は,哲学者田辺元の種の論理が誕生した昭和9年の特殊講義「認識の形而上学」の講義準備ノートである.これは田辺の特殊な筆跡のため没後50年間,田辺哲学の専門家にも読めなかった史料だが,本演習を通して開発された「ITツールを利用する協同翻刻」の手法により,田辺哲学を理解していない学部学生でも十分翻刻ができるようになっている.また,そのことにより従来の田辺哲学像,特に「種の論理」の解釈が大きく変わりつつある.つまり,演習自体が最前線の研究なのである.この演習の目的は,このような史料とITに基づく思想史研究の面白さを経験してもらい,その手法を身につけてもらうことであり,日本哲学史を専攻していなくても,史料研究に興味をもつすべての人に役立つ演習となることを目指している.
内容 まず史料の背景を説明する講義を行い,その準備のもとで演習を行う.史料読みの演習では, 史料のオリジナルではなく,その電子画像を使い,難解な崩し字を読むために,歴史史料研究用のツール SMART-GS を使う.出席者の知識や能力に応じて,講義と演習の比重は変化する.
テキスト・参考文献 http://sourceforge.jp/projects/smart-gs/ (演習に使うITツールのページ)
http://kyoto-gakuha.org/ (演習の成果が公開されるデジタル・アーカイブ)
http://www.shayashi.jp/xoopsMain/html/modules/wordpress/index.php?p=234 (本演習で過去に得られた成果を紹介している岩波「思想」の記事)
その他 手稿分析などに史料分析用ソフトウェアSMART-GS http://sourceforge.jp/projects/smart-gs/ を多用する.講義参加者用のノートPCを数台用意しているが,自習などを考慮し自分のPCを持ってくるとよい.

この演習の成果は,京都学派アーカイブ http://kyoto-gakuha.org を通して広く京都学派の研究者に公開されている.学問の最前線に貢献する楽しさを味わって欲しい.
※オフィスアワーの詳細については、KULASISで確認してください。

教官 芦名 定道 種別 演習 学部(3回生以上)・大学院
曜日・時限 前期 水・3 教室  キリスト教学研究室811号室
題目 日本・アジアのキリスト教──無教会キリスト教の系譜(9)──
概要・目的 日本・アジアのキリスト教の歴史を振り返りつつ、その新しい思想的可能性を探ることは、日本におけるキリスト教思想研究にとって重要な意味を有している。この演習では、年度や学期を超えて、無教会キリスト教の思想家たちを順次検討してゆくことによって、近代キリスト教思想の重要な局面の解明がめざされている。今年度前期は、昨年に引き続き、無教会キリスト教の創始者である内村鑑三のテキストを読み進める。
内容 初回の授業では、本演習のオリエンテーションを行い、演習の目的や進め方を確認する。
二回目以降は、、内村鑑三『世界の中の日本』(内村鑑三選集第4巻、岩波書店)に収録の諸論考を、担当者の解説を通して、順番に精読してゆく。
テキスト・参考文献 内村鑑三『世界の中の日本』(岩波書店) ISBN:4-00-091584-3
テキストは、使用部分について、コピーを用意する。
その他 受講者は、毎時間のテキストの予習と演習への積極的参加が求められ、特に各一回以上の発表担当が課せられる。演習に関わる質問は、オフィスアワー(火3・水5)を利用するか、メール(アドレスは、授業にて指示)で行うこと。
※オフィスアワーの詳細については、KULASISで確認してください。
教官 芦名 定道 種別 演習 学部(3回生以上)・大学院
曜日・時限 後期 水・3 教室  キリスト教学研究室811号室
題目 日本・アジアのキリスト教──賀川・徐・栗林──
概要・目的
日本・アジアのキリスト教の歴史を振り返りつつ、その新しい思想的可能性を探ることは、日本におけるキリスト教思想研究にとって重要な意味を有している。この演習では、年度や学期を超えて、さまざまな近現代のキリスト教思想の担い手たちを順次検討してゆくことによって、近代キリスト教思想の重要な局面の解明がめざされている。今年度後期の演習では、近代日本を代表するキリスト教思想家・実践家である賀川豊彦のテキストを、栗林輝夫の賀川論を参照しつつ、さらに韓国の神学者徐南同の思想との対論において読み進めてみたい。
内容 初回の授業では、本演習のオリエンテーションを行い、演習の目的や進め方を確認する。
二回目以降は、賀川豊彦、栗林輝夫、徐南同のテキストに所収の諸論考を、担当者の解説を通して、順番に精読してゆく。
テキスト・参考文献 賀川豊彦『賀川豊彦全集4』(キリスト新聞社) ISBN:0316-400277-6100
徐南同『民衆神学の探究』(新教出版社) ISBN:4-400-31527-4
栗林輝夫『日本で神学する』(新教出版社) ISBN:978-4-400-31067-9
演習で扱う諸論考については、コピーを準備する。
その他 受講者は、毎時間のテキストの予習と演習への積極的参加が求められ、特に数回の発表担当が課せられる。演習に関わる質問は、オフィスアワー(火3・水5)を利用するか、メール(アドレスは、授業にて指示)で行うこと。
※オフィスアワーの詳細については、KULASISで確認してください。
教官 水野 友晴 種別
演習 学部(2回生以上)・大学院
曜日・時限 後期 木・3 教室  第7演習室
題目 西田幾多郎の「宗教」をめぐる思索
概要・目的  西田幾多郎は『善の研究』の「序」で、「宗教」を「哲学」の「終結」と位置づける彼の考えを披露している。一方で「純粋経験」論については彼の思想の「根柢」との考えが同箇所で提示される。哲学の「根柢」及び「終結」、西田によるこうした位置づけはどのようなことを物語るものなのであろうか。
本演習では、西田哲学の初期から晩年までの全時期における、「宗教」についての西田の論考を精読することで、「宗教」について西田がどのような理解を抱き、また、「哲学」と「宗教」との関係について西田がどのような考えを抱いていたかについて考察してゆくことにする。
内容  『善の研究』第四編「宗教」や最後の完成論文「場所的論理と宗教的世界観」など、「宗教」の問題について論じた西田の論考を読み進めるとともに、同時期に交流のあった思想家や弟子たちとの書簡等でのやりとりも参照してゆく。各回、担当者の報告をもとに、全員で議論を進めることとする。

第1回 イントロダクション
第2回 『善の研究』第一編「純粋経験」 テーマ:純粋経験
第3回 『善の研究』第二編「実在」 テーマ:自然
第4回 『善の研究』第四編「宗教」 テーマ:宗教的要求
第5回 『善の研究』第四編「宗教」 テーマ:神と世界と悪
第6回 『善の研究』第四編「宗教」 テーマ:知と愛
第7回 『善の研究』 まとめと展望
第8回 西田の宗教思想の背景 「山本安之助君の「宗教と理性」と云う論文を読みて所感を述ぶ」
第9回 西田の宗教思想の背景 「現今の宗教について」「愚禿親鸞」
第10回 西田の宗教思想の背景 「「国文学史講話」の序」
第11回 中間ディスカッション 西田は宗教をどのように見ているか
第12回 「場所的論理と宗教的世界観」 テーマ:絶対矛盾的自己同一
第13回 「場所的論理と宗教的世界観」 テーマ:逆対応
第14回 「場所的論理と宗教的世界観」 テーマ:平常底と歴史的世界形成
第15回 まとめ・フィードバック

テキスト・参考文献 『善の研究』は岩波文庫版あるいは『西田幾多郎全集』(旧版、新版とも第1巻)。「山本安之助君の「宗教と理性」と云う論文を読みて所感を述ぶ」と「現今の宗教について」は旧版『西田幾多郎全集』第13巻、同新版第11巻。「「国文学史講話」の序」と「愚禿親鸞」は『思索と体験』岩波文庫版あるいは『西田幾多郎全集』(旧版、新版とも第1巻)。「場所的論理と宗教的世界観」は『西田幾多郎哲学論集III』(岩波文庫)あるいは旧版『西田幾多郎全集』第11巻、同新版第10巻。いずれの版を用いてもよい。出席者は自分で上記テキストを用意すること。上記以外の資料は授業中に配布する。
その他

基礎演習

教官 竹花 洋佑 種別
基礎演習 学部(2回生以上)
曜日・時限 前期 木・2 教室  第4演習室
題目 西田幾多郎の『善の研究』を読む
概要・目的
「明治以後に邦人のものした最初の、また唯一の哲学書」(高橋里美)と評された西田幾多郎の『善の研究』は、幅広い読者を得て、大正期以降の日本の思想に強い影響を残した。本基礎演習ではこの『善の研究』の講読を行う。 『善の研究』本文の精読するために、受講者には担当箇所の内容についての手短な発表を課し、この発表をふまえてディスカッションを行なっていく。これらの作業をとおして「いかに読むか」を学ぶ。また、『善の研究』成立の背景となった思想や『善の研究』がその後の日本の哲学に与えた影響、さらにそれが有する現代的意義に目を向けることによって、多角的にテキストを読解することを目指す。
内容 『善の研究』は4つの編から構成されているが、この授業では第1編「純粋経験」と第2編「実在」を中心にテキストを読んでいく。毎回、指定された講読箇所を受講者の一人ないしは二人に発表してもらい、それに基づいてディスカッションを行なっていく。

授業計画は以下の通りである。

第1回 イントロダクション(『善の研究』の概要についての解説、および発表担当箇所
の決定)
第2回 第2編第1章「考究の出発点」
第3回 第2編第2章「意識現象が唯一の実在である」
第4回 第2編第3章「実在の真景」、第2編第4章「真実在は常に同一の形式を有って居
る」
第5回 第2編第5章「真実在の根本方式」、第2編第6章「唯一実在」
第6回 第2編第7章「実在の分化発展」、第2編第8章「自然」
第7回 第2編第9章「精神」、第2編第10章「実在としての神」
第8回 第2編のまとめ
第9回 第1編第1章「純粋経験」
第10回 第1編第2章「思惟」
第11回 第1編第3章「意志」
第12回 第1編第4章「知的直観」
第13回 第1編のまとめ
第14回 第3編「善」についての概説
第15回 授業全体のまとめ(フィードバックを含む)

参考書等 西田幾多郎(注解・解説 藤田正勝)『善の研究』(岩波文庫〔2012年改版〕) ISBN:978-4-00-331241-4 ( 2012年に改版されたものを用意するようにして下さい。)
その他
教官 竹花 洋佑 種別
基礎演習 学部(2回生以上)
曜日・時限 後期 木・2 教室 第4演習室
題目 木村素衞の哲学
概要・目的
本基礎演習では、西田幾多郎の弟子であり「京都学派」の哲学者の一人として知られる木村素衞(きむらもともり、1895-1946年)のテクストを丹念に読んでいく。フィヒテをはじめとしたドイツ観念論の研究者として、また教育哲学者として有名な木村であるが、彼の思想の真骨頂は身体論と芸術論にあるといってよい。本基礎演習においては、「表現愛」第1部「身体と精神」(1938年)と「形式と理想」(1940年)とを主な対象として、木村の身体論と芸術論がいかなるものであったのかを正確に把握することを目指すと同時に、それを通してそもそも身体そして芸術ないしは美がいかなる哲学的な問題であるのかを理解してもらう。木村の身体論と芸術論の根幹にあるのは、表現的存在としての人間という立場である。この表現という概念は、師の西田から借り受けたものであると同時に、三木清や務台理作あるいは田辺元などによっても重要な概念として用いられた「京都学派」の共有財産でもあった。木村の表現概念を通して「京都学派」の思想的な布置を捉えることも本基礎演習の目的である。
内容 「身体と精神」(身体論)と「形式と理想」(芸術論)の2つのテキストを中心に読解を進めていく。毎回、指定された講読箇所を受講者の一人ないしは二人に発表してもらい、それに基づいてディスカッションを行なっていく。

授業計画は以下の通りである。

第1回 イントロダクション(木村素衞についての簡単な解説、および発表担当箇所の決
定)
第2回 「身体と精神」第1章
第3回 「身体と精神」第2章
第4回 「身体と精神」第3章
第5回 「身体と精神」第4章
第6回 「身体と精神」のまとめ、「京都学派」の身体論についての解説
第7回 「一打の鑿-制作作用の弁証法-」(主要箇所)
第8回 「一打の鑿-制作作用の弁証法-」(主要箇所)
第9回 「形式と理想」第1章
第10回 「形式と理想」第2章
第11回 「形式と理想」第3章
第12回 「形式と理想」第4章
第13回 「形式と理想」のまとめ、京都学派の芸術論についての解説
第14回 「表現」概念について(西田、三木などのテキストの講読)
第15回 授業全体のまとめ(フィードバックを含む)

教科書 テキストは全てこちらでコピーしたものを配布する。
その他

前年度までの授業